「でもね、教授には褒められたの。『自分のスタイルを貫(つらぬ)いてるのは偉いですね』って」「ふーん? でもそれって結果オーライなんじゃないの?」「……そうとも言うよね」 そういえばその教授にこうも言われた。『今のデジタル時代に手書きなんて珍しいですね』と。それでも教授が私の卒業を認めてくれたのは、私がすでに文壇(ぶんだん)デビューを果たしていたからだろう。「――じゃあ、次ね。恋愛について、私はどんな感じだったと思う?」 何だか立場が逆転しかけていたので、私は急いで次の質問に移(うつ)った。「どんな、って。――う~ん……、一言で言えば〝一途(いちず)、でも不器用〟って感じ?」 美加の返答を聞いて思い出したのは、高校時代に付き合っていた同級生の男子について。 ――当時、高校二年生だった私には生まれて初めてできた彼氏がいた。とはいっても私の方から好きになったわけではなく、彼の方から告白されて付き合うようになった。どうも私は、潤の時といい告白されて付き合うパターンが多いらしい。 ――それはともかく。あ
「――なるほどねえ。今回の仕事にアンタが気合入ってる理由が分かったよ」「へ?」「好きな人のための仕事だもんね。そりゃ気合も入るってもんだわ」「……うん」 もっと冷やかされるかと思ったけど、美加は親友らしい言い方で私を気遣ってくれた。「アンタは昔っからムリして男に合わせようとするとこあったけど、今度は大丈夫そうだね。同じ小説を愛する者同士なら」「うん」 彼女はよく知っている。私の過去の恋は、ほとんど私が背伸びをしすぎたせいでダメになっていたことを。でも、今回は背伸びする必要なんてない。原口さんはもう二年以上、こんな私をすぐ近くで見ていたのだから。 私と美加は、氷が解けて少し薄くなったアイスカフェオレを飲んだ。お互いに喋りまくっていたので喉がカラカラなのだ。「――でもいいなー。小説家の想い人が編集者さんなんて。まんま小説の世界みたいでロマンチックだよねえ」 うっとりと目を細める美加。夢を叶えたとはいえ、雇われの身である彼女はこういう世界に憧れるのかもしれない(それを言うなら私もバイトとして雇われている身だけど、それはこの際置いといて)。……でも。「作家の世界ってそんなにキラキラしたものじゃないよ? 現実はけっこうシビアなんだから」 この二年、現実(リアル)に作家をやってきた私だから分かる。印税だけで優雅(ゆうが)
「あたしも奈美に影響(えいきょう)されたうちの一人だからさ。アンタが頑張ってる姿を励みにしてここまで来られたんだよ」「そっか……」 彼女は高校卒業まで、ずっと私を励まし続けてくれた。デビューが決まったと連絡した時にも、自分のことみたいに喜んでくれていた。 進路が別々になってからも、彼女はきっと書店で私が出した本をみるたびに「自分も負けてられない!」と奮起(ふんき)していたんだろう。「ところでさ、これは取材とは関係ないんだけど。ウェディングプランナーってホテルでも需要(じゅよう)あるよね? なんでそっちに就職しないでここを選んだの?」 他のスタッフさんもいる手前、この質問は声をひそめた。 この業種の給与形態(けいたい)についてはあまり詳しくないけれど、大きな式を任せてもらえる方がお給料もいいんじゃないだろうか? そもそもそれ以前に、ホテル従業員の方が基本給自体も高い気がする。「そりゃあね、ホテルのブライダル部門の方が、有名人のお式とか任せてもらえて箔(はく)はつくと思うけど。あたしがやりたい仕事はそんなんじゃないの。規模は小さくても、一件ずつ真心を込めてプランニングしたいんだ」「へえ……、いいねそれ。なんか美加らしくて」 彼女は何事にもこだわる子だった。全てにおいて妥協(だきょう)せず、それでいて自己満足で終わらせることもせず。今いるここでの仕事にも、きっと誇りを持ってやっているに違いない。「結婚式ってさ、カップルにとっては人生の一大イベントになるワケじゃん? だからできるだけお二人の思い出に残るような、ご希望通りのお式にしたいの」「うん。分かるよ」 カップルによって、挙げたい式のカタチはそれぞれ違うから。ホテルの式場よりもここみたいな小さな式場の方が、一期(いちご)一会(いちえ)のプランニングはしやすいのかもしれない。 予算は限られるだろうし、難しいことも多いかもしれないけど、やり遂げた時の達成感もその分大きいんだろう。「今ね、来月ここでお式を挙げられるカップルのプランニング、一件任されてるんだ」「えっ、もう? スゴ~い☆ 頑張って!」「うん!」 入社して一ヶ月でプランを任されるって、なんかスゴい。それだけ会社側も彼女に期待しているってことなんだろうな。 それを言ったら私も? 原口さんは私に期待しているから、創刊第一号を私に任せ
「いつか、自分の友達の式をプランニングする夢」 そう言って、彼女は私に冗談とも本気ともつかない口調でのたまった。「奈美。原口さんと結婚する時は、ぜひあたしにプランニング任せてよね」「うん。……ええっ!? いや、結婚も何も、まだ告白すらしてないのに!」 私は思いっきりまごついた。「大丈夫っ☆ きっとうまくいくよ。あたしが保証する!」 ……いや。「保証」も何も、アンタ彼に会ったこともないでしょ? それなのにうまくいくなんて分かるの? ――とツッコみたかったけど、美加が「大丈夫」って言うなら私も何だか大丈夫な気がしてきた。「……うん、ありがと。もしそうなったら、その時は美加にプランニング頼むよ」「りょーかい☆」 美加は私におどけて見せた。そして再びレポーターと化す。ただし、今度は真面目な質問だった。「奈美には新しい夢ってないの?」 夢……か。私は紙コップを弄(もてあそ)びながら考える。「人気作家の仲間入りをすること……かな」 一ヶ月前、電話で原口さんに宣言したことだ。それが多分、今の私の目標であり夢なんだと思う。「でもいいのかなあ? 『作家になる』って夢だって、まだ叶ってるか叶ってないかビミョーな状態なのに、もう次の夢ができちゃうなんて。私って欲張りなのかな?」「いいんじゃないの? 夢は果てしないんだから。向上心のある人間なら、やりたいこととかなりたい自分とか、次々浮かんできて当たり前だって」「そっか……、そうだよね」 今、美加はすごくいいことを言った気がする。――私はその中で一番心に残ったフレーズをノートに書き留めた。 〝夢は果てしない〟「――ところでさ、原口さんって今フリーなの? さっき訊き忘れてたけど」 美加は今更なことを訊いてきた。さっき、結婚式は云々(うんぬん)とか盛り上がっていたのに。「だと思うよ? 本人から聞いたワケじゃないけど、知り合いの女性作家さんが教えてくれたから」「女性作家? ふーん」 彼女には何かが引っかかったみたいだけれど、私には何が引っかかったのか分からなかった。「……? 何か気になる?」「ううん、別に」 私の気のせいだったのかな? この件についてはこれ以上突っ込んで訊いても答えてくれそうにないので、私は追求を諦めた。
「――さて、取材はこんなもんかな。美加、今日はありがと。仕事のジャマしてゴメン」「ううん、こっちこそゴメン! 色々突っ込んだこと訊いちゃったみたいだし、結局奈美の役に立てたかどうか……」 美加は殊勝にシュンとなったかと思えば、次の瞬間にはけろりんぱと表情を変えた。「実は仕事は早めに終わってたの。午前中にプランニングにはOKが出てて。午後は奈美が来るって分かってたから、会社に残ってただけなんだ」 本当は早く帰れたはずなのに、私のためだけに残っていてくれたなんて。「そうだったんだ? ありがとね、ホントに助かったよ。――じゃ、私はそろそろ」 私はノートと筆記具をバッグにしまい、紙コップを手にして立ち上がる。「仕事頑張ってね! 私もいいエッセイが書けるように頑張るから」「うん! 本出たら絶対買うよ☆ ……あ、紙コップはあたしが片付けとくから」「うん? 悪いね、ありがと」 彼女はここのスタッフなんだし、そうするのが筋なんだろう。そう思って、私は持っていた紙コップを美加に手渡した。 結婚式場を出ると、時刻は午後三時を過ぎていた。〝取材〟という名目で来たわりに、けっこう長居(ながい)をしてしまったらしい。 ちなみにこの後、取材の予定は入っていない。バイト先の書店は土日は忙しいし、学校の先生は平日じゃないと会えない。というわけで、今日の取材はこれで終了。私は初夏の陽気の中を家路についた。 * * * * ――その翌日からも、私はバイトに勤しむ傍ら取材としてあちこちを訪ね、色んな人から話を聞いた。中学・高校時代の恩師、昔よく本を借りていた図書館の司書さん、昔親しかった友達、バイト仲間(由佳ちゃん・今西クン・清塚店長も含む)――。 そうして書き溜めた取材メモを元にして、依頼されてから十日ほどでプロットの作成にまで漕(こ)ぎつけた。 メモのページをめくりながら、そこに書いたフレーズを大まかな文章に起こしていくのだけれど、私はかなりの苦戦を強(し)いられていた。 何せ、エッセイ執筆は初挑戦。なので、小説を執筆する時とは勝手が違うのだ。 小説はジャンルにもよるけれど創作なので(ノンフィクションは除く)、自分の想像力で文章を組み立てることができる。でも、エッセイは材料となる事柄(ことがら)がすでに揃っているので、それありきで文章にしなければならない。
♪ ♪ ♪ ……「――あっ、電話だ」 頭を抱えてウンウン唸(うな)っていると、机の上の充電済みのスマホが鳴った。着信音で分かる。原口さんだ! 私は通話ボタンをタップしてから、そのままスピーカーフォンにした。「はい、巻田です」『巻田先生、お疲れさまです。執筆の方、今はどんな感じですか?』 応答すると、第一声は本当に編集者の彼らしいセリフ。「えっと、あちこち取材し終えてプロットにかかってるところです」『そうですか。仕事が早いですね』 ……ん? この電話の声、ものすごく近い気がする。彼はどこから電話しているんだろう?『実は今、先生のマンションの近くまで来てるんですけど。先生にお渡ししたいものがあるんですが、これからおジャマしても大丈夫ですか?』 私は時刻を確認した。夜の八時過ぎ。お宅訪問の時間としては、まあ常識の範囲内だ。もし万が一潤にツッコまれたとしても、今回は大丈夫だろう。彼は多分、仕事で来るはずだから。「いいですよ。どうぞ。玄関のロックは外しておきますから」『ありがとうございます。では、あと十分くらいで伺えると思いますので』「はい、待ってます」 終話してから、私は首を捻った。原口さんが私に渡したいものって何なのかな? とりあえず、玄関のロックは外しておかないと。「不用心だ」と言われそうだけど、このフロアーの住人に不法侵入をするような不届き者はいないので安全だ。 ――それから本当に十分くらいして、玄関のインターフォンが鳴った。「はい」 モニターで確認すると、訪問者はやっぱり原口さん。ちゃんと電話で予告してくれているのに、わざわざインターフォンまで鳴らすなんて律儀(りちぎ)な人だ。『原口です。こんばんは』「ロック開けてあるのでどうぞ」「おジャマします。夜分にすみません」 自分でドアを開けて、彼は入ってきた。 今日は何だか荷物が多い。特に、持ち手つきの紙袋がやけに重そうだけど、一体何が入っているんだろう?「いいですよ。そんなに遅い時間でもないですし。どうぞ座って下さい。いまお茶淹れてきますね」「いえ、お構いなく。――それじゃ、失礼して」 彼はお茶は遠慮したくせに、ソファーには遠慮なく座る。――まあ、このソファーは彼の指定席みたいなものだし、ここで一晩寝たこともあったし。「本当はもっと早い時間に伺いたかったんですけど
「じゃあ、神保町からわざわざ? 大変だったでしょう」「ええ、まあ。大変といえば大変なんですけど。おかげで明日は早めに出勤して、その原稿のゲラ起こしをしないといけないので。ですが、巻田先生には今日中にこれをお渡ししたくて」 原口さんはそう言って、例の重そうな紙袋を私の横へ移動させた。よくよく見れば、そこには大手書店の店名ロゴが印刷されている。……ということは。「これ、全部本……ですか? 三冊も!」 中身を取り出すと、ハードカバーの本が三冊だった。どれもエッセイ本らしく、著者はバラバラだ。「はい。先生が書かれるエッセイの参考になりそうなのを、僕が三冊ばかり自腹で選んできました。著者によって文体が違うので、どれが参考になるか分かりませんが……」 わざわざ私のために自腹まで切ってくれたなんて、彼の心遣いには恐れ入る。「いえ、ありがとうございます! 助かります。エッセイなんて初めてだから、どう書いていいか悩んでたところだったんです」 まるでタイミングを見計らったような担当編集者の機転に、私はもう感謝しかない。時間がある時に全部ザッと読んでみて、私の文体に一番近いのを参考にしよう。「――ところで、プロット、できたところまで見せて頂いてもいいですか?」「あっ、はい! ちょっと待ってて下さい。取ってきますから」 私は仕事部屋に急いで戻り、机の上に広げてあったプロットノートをリビングまで持っていく。一応少しは文章らしくまとめてあるけど、それをどう繋げていくかが悩みの種だったのだ。「これです。まだあんまり進んでないんですけど……」 私は原口さんの隣りに座り、彼にノートを手渡す。
「実はね、このタイトルには私が読者の皆さんに一番伝えたい想いが込もってるんです」「伝えたい想い……ですか」「はい」 私は頷く。でも、そのメッセージを伝えたい相手は読者の皆さんだけじゃない。ここにいる原口さんにも……。でも、それは私の口から直接伝えないと意味がないことだ。 ――彼は引き続き、ノートのページをめくっていた。「一応ね、要点だけは章分けして文章にしてみたんですけど。これを全部繋げて一続きの長い文章にしようと思ったら、どう書いていいか分からなくなって」 編集者の彼なら、何かいいアドバイスをくれるかもしれないと期待したけれど。「そうですね……。先生は読者を感動させられる文章力をお持ちなんですから。あとは組み立て方次第なんじゃないでしょうか」「そんな! 買いかぶりすぎですよ!」 ……原口さん、褒めすぎ! 私は思いっきり謙遜した。だって、自分ではそんなにすごい文才の持ち主だと思っていないんだもん。……嬉しいけど。「でもせっかく参考資料を持ってきて下さったんで、これを頼りに頑張ってみますね」「まだ十分に時間はありますから、じっくりやって下さい。僕も時々、進行具合をお訊ねしますから」「はい」 彼が来るまで、前に進めるか心配だったけれど。少し今後の道筋(みちすじ)が見えてきたような気がする。 ――と、そんな時。 グゥゥ~~ッ………… 小さくて奇妙な音が――。ん? お腹の鳴(な)る音? 私はもう晩ゴハンを済ませてある。ということは……。「……すみません、先生」 恥じ入るように、原口さんが詫びた。さっきの音の正体は、彼のお腹の虫が鳴いた音だったらしい。「もしかして、晩ゴハンまだなんですか?」「はい……。さっきお話しした先生のせいで食べるヒマがなくて。お恥ずかしい」 ――やっぱりこの人、放っておけない! こういうところが私の母性本能をくすぐるんだということを、ご本人は自覚していないらしい。そこがまた私のツボなのだ。「ねえ原口さん、よかったらウチでゴハン食べて行きますか? って言っても、ほとんど私の残りもので申し訳ないんですけど……。あっ、玉子焼き作ります?」 生真面目な原口さんも、さすがに空腹には勝てないみたい。「いいんですか? ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えてごちそうになります」「はい! すぐにできるんで、ダイニン
「でも最近、自分がやっと一人前の作家になったような気がしてきてます。私自身、本の売れ行きが予想をはるかに超えててビックリしちゃって。こないだ入った印税なんか、ゼロの数が多すぎて『これ、金額間違ってるんじゃない?』って思ったくらい」 運ばれてきたハヤシライスを食べながら、私は嬉しさを隠しきれずにそう言った。この話は大げさではなく、事実である。私の銀行口座の残高(ざんだか)は今、大変なことになっているのだ。万から上のケタが四ケタってどういうこと? ……みたいな。「それだけ印税入ってくるようになったら、もう専業作家になってもいい頃なんじゃないですか? 書くことに専念して」「えっ、専業?」「はい。人気作家になったら、他の出版社さんからも執筆依頼が来るようになります。先生は原稿を手書きするので、そうなると今まで以上に執筆時間を長めに確保する必要が出てきます」「はあ……」 原口さんの言いたいことは分かる。パソコン書きの作家さんなら、いくらでも執筆時間の都合はつけられる。――少なくとも、手書きの作家よりは。「これまで通り働きながら執筆活動を続けようと思ったら、睡眠時間を削(けず)らないといけなくなります。それじゃ先生、最悪の場合は体壊しますよ」 彼氏としても編集者としても、私のことを心配してくれているのは嬉しい。でも……。「それだけ心配してくれてるのはすごくありがたいんですけど。私、バイトは続けていきたいです。友達もいるし、作家と書店員を両立する上での役得もあるし」「先生の気持ちは分からなくもないですけど。無理はしてほしくない――」「大丈夫。執筆時間は何とか都合つけて頑張りますから」 彼の思いやりには感謝したい。でも、ちょっと心配しすぎな彼の言葉を遮って、私は彼を宥(なだ)めた。「そうですか? 分かりました。――この問題の解決策(さく)が、実は一つだけあるんですけど」「解決策って?」 私は食事の手を止め、彼に首を傾げてみせる。「先生に、我が洛陽社の専属作家になってもらうこと、です」 私は〝目からウロコ〟とばかりに目を瞠った。でも、言い出した当人の原口さんはあまり気が進まないようだ。「なるほど。……でも原口さん自身は、あんまり薦(すす)めたくないみたいですね」「はあ。僕としては、〝作家という職業は自由業だ〟と思ってるんで。先生にはいろいろな出
――私(あたし)と原口さんが付き合い始めてから二ヶ月半が過ぎ、季節は秋になった。 今日は土曜日で私のバイトもお休み。というわけで、原口さんと映画デートを楽しんでいる。「――ナミ先生、映画面白(おもしろ)かったですね」 シアターから出るなり、彼はほこほこ顔で観ていた映画の感想を漏らした。「うん。あたし原作も好きなんですけど、映画はまた違う面白さがありましたよね。脚本家さんのウデかなあ」「あと、監督(かんとく)さんの、ね」 私達の会話は、傍(はた)から見れば映画評論家(ひょうろんか)同士の会話みたいに聞こえるだろうか。――まあ、当たらずとも遠からずなのだけれど。 今日私達が観てきた映画は、私も本を出させてもらっていた〈ガーネット文庫〉の先輩作家さん・岸田(きしだ)
「――そうそう、第二号は西原先生が引き受けて下さいましたよ」「そうですか」 琴音先生とは一(ひと)悶着(もんちゃく)あったけど、これからもいいお友達だ。彼女にも新天地でいい仕事をしてほしいと思う。「じゃあ、第三号はまた私に任せてもらえませんか? テーマはもう決めてあるから」 次回作はウェディングプランナーをヒロインにした話。美加を取材した時から決めていたのだ。「いいでしょう。打ち合わせはまた後日改めて。――ただし、できればその服はやめてほしいですけど」「えっ、なんで!? 似合いませんか?」 私は不満を漏らした。これを選んでくれた由佳ちゃんには「可愛いよ」って言われたのに! 原口さんからは不評なの!? ところが、そうじゃなかった。「いえ、よくお似合いですよ。――ただ、他の男性がいる前でそういう刺激的な格好はしてほしくないな、と」「…………はあ。そうですか」 なんか意外。原口さん(この人)にもそんな、〝
「そうですかあ? じゃ、僕のこと下の名前で呼んでみて下さいよ」 ……出た、久々のドS原口。しかも上から目線で。「分かりました。――こ……、こ……晃太さん……」 男性を下の名前で呼ぶのなんて潤の時以来のことなので、すんなりとは呼べずにどもってしまう。恥ずかしくて顔も真っ赤だ。でも、彼はそんな私のことを「可愛い」と笑ってくれた。「まあ、それは焦(あせ)らずにボチボチ変えていきましょうか。――あ、着きました。先生、ここが〈パルフェ文庫〉の編集部です」「へえ……、ここが。小さな部署ですね」 そこは五,六人分のデスクと小さな応接スペースがあるだけの、小ぢんまりしたセクションだった。当然、一番奥のデスクが編集長になった彼の席なんだろう。 まだ片付いていない荷物もあるらしく、あちこちに段ボール箱が残っているけれど、ジャマになっているわけではない。「〈ガーネット〉の編集部も、最初はこのくらいの規模からスタートしたそうですよ」「へえ……、そうなんだ」 それが今や、あれだけの大所帯になるなんて。大したもんだ。「ここもいずれは……と思ってますけど、まだスタートを切ったばかりですからね。――どうぞ、座って下さい」「失礼します」 私が応接スペースのソファーに腰を下ろすと、原口さんは自分のデスクからプチプチマットに包(くる)まれた一冊の文庫本を取ってきて私に差し出した。「これ、先生が書かれた『シャープペンシルより愛をこめて。』の見本誌です。ご自宅に郵送しようと思ってたんですが、今日来て下さったんで先に一冊お渡ししておきますね。残りはご自宅にお送りします」「わあ……! ありがとうございます!」 私は受け取った文庫本を、後生大事に胸に抱き締めた。「私ね、毎回この瞬間が一番『あー、作家になってよかったなあ』って実感できるの。今回は初挑戦のジャンルだったから余計に」 今回の原稿では〝産みの苦しみ〟を経験した分、こうして無事に本になってくれて、喜びも一入(ひとしお)だ。「この表紙、他のレーベルの編集者さん達からも評判いいですよ。『シンプルでいい。特に直筆の題字がいい』って」「そうなんだ? 直筆やっててよかった」 私はプチプチの外装(がいそう)を剥(は)がし、カバーの手触りを確かめるように表面をひと撫(な)でして感慨に耽った。そんな私を見つめる彼の目は、深い愛情
原口さんと両想いになってすぐ、私は潤に電話をした。「――潤、ゴメン。やっぱりアンタとはやり直せない。あたし、原口さんと付き合うことになったから」「……そっか、分かった。好きなヤツと両想いになれてよかったな、奈美。オレ、これでお前のことスッパリ諦めて、次の恋探すよ」 私にフラれた潤(アイツ)は、声だけだけれどスッキリしたような感じがした。 ――そして、私と原口さんが結ばれてから数週間が過ぎた八月上旬。 〈パルフェ文庫〉の創刊第一号・『シャープペンシルより愛をこめて。』の発売が三日後に迫る中、私のスマホに彼からのメッセージが受信した。『編集部が完成したので見にきませんか?』 さらに、公式サイトに書影(しょえい)もアップした、とのこと。私はそれが一目で気に入った。 私の文字がそのまま使用され、あとは原稿用紙のマス目とシャーペンの写真・ペンネームがデザインされているだけでとてもシンプルだけど、それが却って斬新(ざんしん)だ。 * * * * ――その翌日、バイトの休みを利用してできたてホヤホヤの編集部を訪れた。午前から来てもよかったけど、忙しいと迷惑がかかるかな……と思い、午後にした。 洛陽社のビルにはもう何度も来ているけれど、ここが彼氏の職場となると別の意味で緊張する。彼の働いている姿が見られると思うと……。 日傘の柄(え)を手首に引っかけ、オフショルダーの服でむき出しの肩に提げたバッグを担(かつ)ぎ直し、私は八階でエレベーターを降りた。この階は文芸部門のフロアーで、いくつかのレーベルの編集セクションと小会議室が数室あり、中でも〈ガーネット〉の編集部はこのフロアーの実に三分の二を占(し)めている。「――あ、巻田先生! お待ちしてました!」 小会議室が並ぶ廊下で、彼氏(!)になったばかりの原口さんが待っていてくれた。「原口さん! お疲れさまです。ご厚意に甘えて来ちゃいました」「〈パルフェ〉の編集部は一番奥です。案内しますね」 彼に先導(せんどう)され、私は〈ガーネット〉を含む他のレーベルの編集部をぐんぐん横切っていく。「――ところで、私達付き合い始めてもうじき一ヶ月になるんですけど。お互いの呼び方何とかしませんか?」 私はこの場の空気を読んで、小声で彼に提案した。この一ヶ月ほどで、私達の関係に何か変化があったのかといえば特にそん
私は目を閉じた。自分の心臓の音が、映画の効果音のようにバクバク聴(き)こえてくる。彼の吐息を間近に感じたかと思うと、唇が重なった。それも一瞬じゃなく、数秒間続いた。長いけれど優しいキス。 唇が離れると、彼は私を抱き締めてこう言った。「先生、今日はここまでにします。これ以上はちょっと……歯止(はど)めが効かなくなりそうなんで」 私はそれでも構わなかったけれど、その台詞が誠実な彼らしいので素直に頷いた。「じゃ、僕はそろそろ失礼します。――あ、そうだ。一つ、先生にお願いが」「お願い? 何ですか?」 私は首を傾げる。彼の事務的(ビジネスライク)な口調からして、「やっぱりさっきの続き」とかいう空気じゃなさそう。「カバーの題字に、先生の字をそのまま使わせて頂けないかなと。……構いませんか?」「えっ? ――はい、いいですよ」 作家の手書き文字を読者に見てもらえる機会なんてあまりないし、エッセイの内容からしてもそれはすごくいいことだと思う。「本当ですか!? ありがとうございます! ――じゃ、僕はこれで。また連絡します」「はい。……原口さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」 原口さんは玄関先でもう一度私にキスをして、ペコリと頭を下げて帰っていった。 ――私はソファーに座り込むと、唇をそっと指でなぞった。そこには柔(やわ)らかな感触と、どちらのか分からないカフェオレの香りが残っている。グラスを見たら、彼の分も空になっていた。 ……私、キスだけで腰砕(こしくだ)けになってる。恋をしてこんなになったのは初めてだ。 でも、原口さんに私の想いが伝わってよかった。恋心だけじゃなく、エッセイに込めた想いも。だから、彼に私の字をそのまま題字に使いたいって言われたのはすごく嬉しかった。 『シャープペンシルより愛をこめて。』、――それがあのエッセイのタイトル。 彼に伝わったように、このエッセイを読んでくれる全ての人達にも、私の想いが伝わればいいなと思う。
「――私ね、前にも話しましたけど、潤とのことがあってから、『もう恋愛は懲(こ)りごり』って思ってたんです。もう恋愛で傷付いたり疲れたりしたくないって。……でも私はやっぱり恋愛小説家だから、性(しょう)懲(こ)りもなくまた恋をしちゃいました」 考えていた台詞はどこかに行ってしまったけれど。私のこの想いだけ伝わればいい。「原口さん。……私、あなたが好きです。多分、二年前に担当になってくれた時からずっと」 よし、言えた! ――さて、彼の反応はどうだろうか?「…………えっ!? ぼ、僕ですか!?」 ……がくぅ。私は脱力した。これってわざとですか? ボケですか?「そうに決まってるでしょ!? 今ここに、他に誰かいますか?」「そう……ですよね。いやあ、なんか信じられなくて」 コメカミを押さえながらツッコむと、彼は夢心地のように頬をボリボリ。でも次の瞬間、彼から聞けたのは思いがけない(こともないか。実はそうだったらと私も密かに望んでいた)言葉だった。「実は僕から告白しようと思ってたので、まさか先生の方から告白されるなんて思ってなくて」「え……?」 待って待って! これって夢?「僕も、巻田先生が好きです。二年前からずっと」「……ホントに?」「はい」 こんなシチュエーション、小説にはよく書いてるけど、いざ自分の身に起こると現実味が薄い。「……あの、あなたが二年前に琴音先生より私を選んだのはどうして? 彼女の方がずっと魅力的なのに」「それは、僕が心惹かれた相手が先生だったからです。責任感が強くて一生懸命で、でも僕のボケには的確にツッコんで下さって。僕にとってはすごく可愛くて魅力的な女性です」 〝ボケ〟とか〝ツッコミ〟とか、いかにも関西人の彼らしい。――つまり、私達の相性は最強ってことかな。SとMで、当たり前のように惹かれ合っていたんだ……。「――実はね、私ちょっと前まであなたのこと苦手だったんです。あなたが酔い潰れた姿を見るまでは、あなたのこと口うるさいカタブツだと思ってたから」 あの夜、〝素〟の彼を見て分かった。彼は精一杯、バカにされないように突っ張っていただけなんだと。「じゃあ、あの夜に僕が本当は何を考えてたか分かりますか? ――もしこのリビングが明るかったとしたら」「え……」 私は瞬く。と同時に理解した。男性である彼が、「理性を保てなく
――そして、待つこと十数分。 ピンポーン、ピンポーン ……♪ ……来た! 私はインターフォンのモニター画面に飛びつく。「はい!」『原口です。原稿を頂きに来ました』「はっ……、ハイっ! ロック開けてあるのでどうぞっ!」 思わず語尾が上ずってしまい、インターフォン越しに彼がプッと吹き出したのが分かった。……恥ずかしい! 緊張してるのがバレバレ! もう二年以上の付き合いなのに(仕事上だけれど)、「今更?」って思われていたらどうしよう? そしてそのショックで、昨日まで練(ね)りに練った告白プランが全部飛んでしまった。「――先生、おジャマします」「はい、……どうぞ」 玄関で原口さんを出迎えた私は顔が真っ赤だったはずだけど、彼は「今日、暑いですよね」と言っただけでいつもの定位置に腰を下ろした。――彼なりに空気を読んでくれた?「あの、先生――」「あ……、原稿ですよね? ここにちゃんと用意してあります」 何か言いかける彼の機先(きせん)を制し、まずは原稿の封筒を彼に手渡す。「あ、ありがとうございます。――あの、ここで読ませて頂いてもいいですか?」「はい。じゃあ私、冷たいものでも淹れてきますね」 私はキッチンに立つと、二人分のアイスカフェオレのグラスを持ってリビングに戻った。 彼は普段と変わりなく、原稿を一枚一枚めくっている。でも今回はじっくり時間をかけて読み込んでいる気がする。「――コレ、どうぞ」 グラスを彼の前に置いても、「どうも」と会釈してくれただけで、視線はすぐ読みかけの原稿に戻された。私は何だか落ち着かず、彼の隣りでアイスカフェオレを飲みながら成り行きを見守ることに。 ――原口さんが二百八十枚全部を読み終わったのは、夕方五時半ごろだった。「どう……でした? 誤字とかのチェックはもう自分でしてあるんですけど」 私は彼に、原稿の感想を訊ねてみる。毎回この瞬間はドキドキするけれど、今回の緊張感は普段とはケタ違いだ。「……いや、これスゴいですよ。恋愛遍歴なんかもう赤裸々(せきらら)すぎちゃって、僕が読むのなんかおこがましいっていうか何ていうか」「いいんです。あなたに読んでほしかったから」 私の過去の男性遍歴は、あまり人に自慢できるようなものじゃないけれど。それでも好きな人には知っていてほしいから。
「――で? 告白の時はもうすぐなの?」 笑いがおさまったらしい由佳ちゃんが、私の顔を覗き込む。「うん」 締め切りは来月半ばだけれど、今の執筆ペースでいけばそれより早く書き上げられるはず。そしたらその日が、いよいよ告白決行のX(エックス)デーだ! 美加も由佳ちゃんも、そして琴音先生も気づいている。彼が私を好きだってことに。そして多分、私の気持ちを彼も知ってる。告白にはエネルギーが必要だけど、今回はもしかしたら〝省エネ〟で済むかもしれない。「そっか。きっとうまくいくって、あたし信じてるよ! ――さて、早く食べて仕事に戻ろ!」「うん!」 作家の仕事と同じくらい、私はこの書店での仕事も大好きだ。このお店で大好きな仲間と働けていることに感謝しながら、私はお弁当の残りをかき込んだ。 * * * * ――それから二週間ほど経った。 週四~五日は昼間はバイト、夜は原稿執筆に精を出し、休日には書けたところまでをチェックするという日々を送り、季節は梅雨からすっかり夏になっていた。今年は梅雨明けが早かったらしい(注・この作品はフィクションです)。 今日は店長のご厚意(こうい)で、有給にしてもらえた。昨日、「今の原稿、明日には書き上げられそうなんです」って私が言ったら、「じゃあ明日は有休あげるから、執筆頑張るんだよ」と言ってくれたのだ。